六本木・国立新美術館で第20回記念展!初回展以後、開催地の返還を体験した者にとって覚醒の感を覚える。
本館を確保、定着させるに至るまで事務局各位のご苦労を思うと察するに余りある。
心より謝意を表したい。自己を返り見れば、歳を重ねる度にシンプルスローに。
搬入等は締切直前が常となってしまったが、送り出した後は安堵する。
反面、虚無感がおそう。しばしそのからっぽの無のしじまの中に。と、無は無にあらず!
すべて!有も生む!等々云々の風が。我に返る。同時にまた送り出す物を!てな気が…。
ともあれ、よくぞ越して六本木の地で!ビバ!欧美殊勲!祝20…
岡崎市で活動する私が初出品したのは2001年岡崎のシビコにて開催された関連展の時でした。その時初めて故馬郡先生とポール・アムビーユ会長にお会いし、雑談をした事が昨日のことように懐かしく想い出されます。お二人より「期待しているから頑張れ」と大変有難い励ましの言葉をいただき、それを糧にして今も作品制作に励んでいます。何度か出品してきた本展ですが、今回は特別な想いで出品しました。私は9年前から人工透析を受けていますが様々な副作用が体中に現れ、一時は歩けなくなる程でした。7月には脊柱管狭窄症が発症し、さらに台風が接近する中での参加となりましたが、幸い無事に参加でき、サロン・ドトーヌのケクラン会長とお会いし、記念撮影した写真を「宝物」にし、「絵を描くために生かされている」と神に感謝しながら、これからも自分の「美」を追及してまいります。
当展は、展覧会に関係した国の大使館と、フランスの方々と強固な友好関係を築き上げている。アートを用いることで様々な国の町の歴史、社会、商業等文化についても学ぶことができ、今回はスペインのヒホン市についての話を聞く機会が提供された。このアートの場は、国際文化交流の場としても成立しており、アートが持つコミュニケーションの力の可能性を示している。これらを実現している公募展は、日本では当展だけである。展示作品の質は年々向上しており、若い世代の出品者もいることから、展覧会としても、今後更なる信頼の構築と成長が期待できる。
本展に初出品したのが古希を迎えた2005年からで、今回で11回目を数えます。本展は、サロン・ドトーヌの協賛を得て、名実共に国内開催唯一の国際公募展として、なお一層質量共に充実した展覧となり、出品者の一人として誇りを感じています。
2007年に、この現代美術世界展で受賞した事から、これまで様々な展開に恵まれた。今回展で、前回のパリ国際サロンでの大賞受賞による副賞として壁面一面4点特別展示招待の機会を与えていただいた事は、栄誉であり大きな学びの場となりました。サロン・ドトーヌに永年出品していながら、開催時期にパリに行けていない自分にとって国立新美術館での本展で、ドトーヌの先生方を主とする国際作家と共に作品を世に問う事ができるという意義は大きい。
国立新美術館の展示会場は、作品に手を携えにぎりしめた制作の心意気を存分に表現された数々の作品に、作り手の熱い想いを観賞する側の感動とが融合する出会いの場となり、会期中はよどみく感動が流れた。賑わいだオープニングレセプションにも参加し、顔なじみになった作家の皆様と談笑する機会を得て楽しいひとときとなった。翌日の寸評会では、一人一人に、ていねいな寸評をいただき、心豊かな気分で会場を後にした。
この展覧会の魅力は、なんといっても、同時限で制作している、他国の画家と共演できることである。世界(人間)に距離は存在しない、と見える時もあるが。
自分の存在が遠のいていく。とみえる時もある。この共演は、そんな厳しい問いや感動を、いつも投げかけててくれる。
世界展では同時開催イベントの美術賞展関係者による『講演会』に、今までも時間の許す限り参加し、興味深く勉強もさせて貰ってきました。今回は次の作品展に向け「Pilgrimage(巡礼)」の制作に入り、暗中模索の中での参加。するとベルギー・オランダ講演会の中で、日本には浮世絵だけではなく禅文化もあると、先人"鈴木大拙氏"が伝導していた事を初めて知り、驚きと感動。なんで?!このタイミングー!2014年四国遍路は1200年の歴史、高野山は2015年その記念年から巡礼作品のスタートとなりました。
2005年国内画壇から国際画壇にスタンスを替える契機になったのが、この世界展でした。今回展は、前回から国立新美術館に会場を移して、サロン・ドトーヌの参加とともに2年目となり、国内唯一の国際展として名実ともに充実した素晴らしい展観でした。特に私にとって副賞のミニ個展招待で5点を一面展示していただいたことは大きな収穫でした。本展が、今後ともに日本開催最大の国際展として、日本画壇をして世界に目を向けさせる存在であり続けることを切に期待しています。
本展に出品させていただき、フランス・スペイン・アメリカ・中国・オランダ等外国作品と、日本作品の色彩・構図・表現力に深い芸術性を感じ、心動かされました。又出品作家への寸評会は、スライドを使って時間を押して教えていただき、寸評に深い感動と新しい感覚、芸術性が心の中にフツフツと沸いてきました。絵画を追求している人間として豊かな時間を持つ事が出来、諸先生方に深い敬意を感じた一時でした。今後もキャンバスに向い自己の感覚を多くの作品から深め、自己の世界、深い表現力等で新しい作品を展覧会に出していける様、前を向いて勉強にはげんでいこうと思っています。
芸術をこよなく愛した、一人のエトランジェ(異邦人)がフランスのパリで、この舞台で、日・仏両国の画家による展覧会を思いたった。それは世界にはばたこうとする日本の芸術家の登竜門ともなり。世界の芸術の交流こそが、グローバルな平和に繋がる、との強い思いからであった。それから今日まで、ほぼ40年。その思いに共感した、ル・サロンやサロン・ドトーヌの画家、評論家達との共演は途絶えることなく続いている。そして本年待ち望んでいた、東京の国立新美術館で、250余点の日本人の作品に混じって、80点にのぼるフランス、中国、スペイン、オランダ、アメリカからの作品が一同に会する大国際展を展開するまでになった。これは、日本の文化史にとって記憶すべき出来事であり、世界の芸術の交流の場の幕開けでもある。
私はサロンドトンヌやル・サロン等での数々の輝かしい賞を受賞された故宮地亨画伯に、昭和57年より15年間油絵を師事しました。平成9年に急死のような形で88歳で逝去されてからは油絵を描く意欲をなくしました。梯子を外されたような気持でした。が、12年間のブランクを破って油絵を再開し、第12回日本・フランス現代美術世界展へ出品し入選しました。第13回の同展では拙作「閃光」(40号)で、フナオカ準賞を受賞し、更に寸評会では「東洋的、侘び・寂びに通じる」と評され、非常に嬉しく思いました。今後、東洋精神を主軸に絵画制作を展開したいと思います。
私が何より嬉しかったのは、JIASに入会して、初めて入賞したことです。作品名は「大きな扉」です。この作品は、少年時代に過ごした実家の扉です。開けると暗がりのトンネルのような通路。その奥には明るい中庭と玄関がありました。昭和初期のモルタル作りの建物に木製の大きな扉。
どことなく、西洋的でした。毎日扉を開閉するのは朝と夜。今はもうありませんが、記憶の中に「明日への扉」というイメージで残っています。この作品をきっかけにして、これからも「表現者」という自覚を持ち、いろいろな扉を開けていきたいと思います。ありがとうございました。
青山のスパイラルホールで開催されている頃から拝見していたこの展覧会ですが、今回ぜひ自分も挑戦しようと思い立ち、エスキースつくりをはじめました。以前に訪れた木曽路の宿場町「妻籠宿」は普段は観光客で賑わっているのですが、この日は雨で静かな雰囲気が漂っていました。それがこの山間の宿場町の歴史を感じさせ、モノトーンに近い日本の墨絵のような印象があり、それを画面で表現できたらと考え制作に取り組みました。会場に行くとたくさんの数の斬新な作品ばかりで、圧倒されました。印象や考えを絵にしていくという部分で勉強になった事と、もっとこんな風にしたかったという思いも湧いてきました。今回賞を頂戴し、もっと研鑽を積まなければという思いが一杯で、海外を含め諸先生方との交流の深めて生きたいと考えております。
岡崎市で活動する私が初出品したのは2001年岡崎のシビコにて開催された関連展の時でした。その時初めて故馬郡先生とポール・アムビーユ会長にお会いし、雑談をした事が昨日のことように懐かしく想い出されます。お二人より「期待しているから頑張れ」と大変有難い励ましの言葉をいただき、それを糧にして今も作品制作に励んでいます。何度か出品してきた本展ですが、今回は特別な想いで出品しました。私は9年前から人工透析を受けていますが様々な副作用が体中に現れ、一時は歩けなくなる程でした。7月には脊柱管狭窄症が発症し、さらに台風が接近する中での参加となりましたが、幸い無事に参加でき、サロン・ドトーヌのケクラン会長とお会いし、記念撮影した写真を「宝物」にし、「絵を描くために生かされている」と神に感謝しながら、これからも自分の「美」を追及してまいります。